油絵ひまわり会

私の一枚
山田正人『梯子−common』

Happy Triangle(立川・国立・国分寺タウン情報誌) 2000年2月号より

Happy Triangle
私たちが自明としていることが怪しくなり、それが作品のテーマとなる。いったい美とは何か?
芸術とは何か? 今月の「私の一枚」は、立川市栄町にお住まいの山田正人さんの作品『梯子−common』(八つ切りパネル・油彩)。山田さんは多摩美術大学大学院美術研究科卒業、イタリアに一年間留学。画歴は大学入学から数えて15年。個展4回。

−油絵はいつ頃から?
中学二年のときの美術部からです。大学は初めデザイン科をめざしたんですが、浪人中に油絵科に変わったんです。

−こういう絵はいつ頃から?
浪人時代は、基礎的なデッサンや具象絵画でアカデミックなルールを勉強しましたが、あまりおもしろくないので入学後すぐ抽象っぽいものになりました。でも、浪人中に学んだことはそれなりにためになりました。

−アカデミックなものには批判的ですか?
大学生のときヨーロッパの十数カ国を一カ月間美術館ばかり見て回ったんですね。それまではアカデミズムに批判的だったんですが、その一カ月で、どの様式も受け入れられるようになりました。角が取れたといいますか…

梯子−common

山田正人さんの一枚『梯子−common』

−プルシャンブルーの背景に真っ白な梯子で、非常にシンプルですね。
はい。形は後からついてくるんです。自分の考えていることをシンプルに表せるものとして、たまたま梯子に出会っておもしろいなと思ったんですね。

−どういうところが?
梯子の機能は、架けることによって上にも下にもつなげるところにあります。自分のいるところから他のところに移動できる。こういう機能を考えると梯子は希望に満ちているように見えます。でも、たいていの梯子は、納屋や軒下に置き去りにされていますね。私の中にある「梯子」もそのような《どこにも架かっていない梯子》、あるいは、目的のためには短すぎたり貧弱であったりして《忘れられてしまった梯子》なんです。

−それはコミュニケーションの問題ですか?
そうです。梯子は両端で二つのものをつなぐ機能があるはずなのに、つながる保証はありません。コミュニケーションも伝達をめざしていても、確実に相手に伝わるかどうかはわからない。

−《common》とありますが?
《common》には「共有」の意味があります。共有をめざしてもその保証がない、そこに不安が生まれます。僕は色弱なんですね。ですから、言葉のコミュニケーション以前に、表象的に不安がある。自分の見ている色がそのまま他の人の見ている色であるかどうかに非常に不安があるわけです。

−芸術表現の不可能ということですか?
共有への熱烈な憧れがあるにもかかわらず、絵画自体のビジョンさえ共有できないのではないかという不安ですが、絶望しているわけではないんです。負け戦であろうともなんとなくねばっている…それをすることの方が僕にとってはいいな、と。

−では、「美」とは何だとお考えですか?
「美」ではなく「アート」と考えたいと思います。「アート」は何かを得ようとする行為、何かに達しようとする行為で、「美」という形容詞ではくくりきれないものだと思っています。

表現の共有は不可能かもしれないが、表現しようとする行為は確かにある。この梯子は山田さんのアート(芸術)の姿そのものだと思いました。「油絵にこだわる理由もなくなった」とおっしゃる山田さん。3月予定の個展が楽しみです。
Ss

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